「少女」(湊かなえ)

(紹介作品のあらすじはリンク先にお任せ。ただし本文中にもネタバレは含みます)

少女 (ハヤカワ・ミステリワールド)

少女 (ハヤカワ・ミステリワールド)



粗筋から、湯元香樹実の「夏の庭」を思い出した。

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

夏の庭―The Friends (新潮文庫)




10代の少年少女の夏休みという、生命力や瑞々しさを感じさせる場面設定と、
「死への関心」との対比には、何かしら普遍的なテーマが潜むのだろうか。



映画「スタンド・バイ・ミー」の場合は、捜索中の事故死体を発見することで
ヒーローになろうという固有の動機が存在するが、「少年のグループ」「死」
「夏」というモチーフはこれまた共通している。


彼等は皆「大人になりたい」という欲求のもとで死に触れることを試み、そして
それが「想像したようなものじゃない」と知ることで一歩大人になり、夏が終わる。



そんな共通した流れを持ちつつも、それぞれの物語のテイストはかなり異なる。

「人が死ぬのを見たい」という思いは、「夏の庭」では小学生の少年達の冒険心として
描かれるが、「少女」におけるそれは、日常に閉塞感を抱いた女子高生の願望。


この構図だけで一種独特な「気味の悪さ」を醸し出す。
ある種、湊かなえの真骨頂ともいえる空気感。



(因みにスタンドバイミーも、原作の表現は結構エグい。
収録された短編集のタイトルは「恐怖の四季」で、映画の爽やかなイメージとのギャップに
度肝を抜かれた記憶がある)



前作「告白」で注目された、ミスリードや複線を活用したどんでん返しは健在。

「告白」よりは衝撃度が低いというのが巷の評価のようだが、その分救いがあることには安心した。
(あくまで前作を基準にしての話だが)


「告白」が大当たりしたので、そのうちこの「少女」が映画化される可能性もあるのではと
(特に願望はないが)踏んでいたけれど、今のところその兆しはない模様。

少なくとも「告白」よりは映像化しやすい内容であると思うけれど。



<引用>

 かわいそう?わたしもそう思いながら聞いていたけれど、だんだんと、ちょっと違うんじゃないか、という気がしてきた。紫織は、親友の死を悲しんでいる、というよりは、うっとりと自分に酔いしれているような……。
 ねえ、聞いて!わたしの親友は死んでしまったの。わたしは今、必死でその悲しみを乗り越えようとしているの。わたしは本当の「死」を知ってるの。だから、他の子たちとは違うの。あんたたちとは違うの。
 そんな心の声が聞こえてきそう。それってただの―――自慢じゃないか。

あんたがそれほど不幸だと言うなら、わたしとあんたの人生をそっくりそのまま入れ替えてあげる。それに抵抗があるうちは、あんたはまだ、世界一不幸ってわけじゃない。

「由紀はいいよね。とっさに調子のいい言葉を思いつくから、みんなにいい人だって思われて。あたしなんて不器用だから、ぜんぜんダメ」
こういうことを、あたしは由紀に言わなかったっけ。
「自分を不器用だという人の大半は、気が利かないだけなんじゃないかな」
数日経って、別の子の話をしてるときに、ついでのように言ってたこの言葉は、あたしに向けられた言葉だったんだ。