ステップ

5歳のとき、自分の家は完璧な居場所だった。


15歳のとき、なんて辛く不遇な環境なのだろうと思った。


25歳のとき、その全部がまったくもって「普通」の範疇であることを
リアルに認識した。

あるいは、「何の軋轢も特異性もない家庭こそが、希少もしくは皆無」
だと知った。


そして、はたから見て「普通」の「恵まれた」環境に育った子供でも、
その中で傷や痛みをたくさん抱えうるということも。

この先もこんな風に、年月を経て、新たな認識や答えに出会うのだろうか。