August 15th

もう10年以上前の、休日の午後のこと。

「ねえ2人とも、ちょっと来て」
ホストマザーの呼ぶ声を受けて、ルームメイトのクリシーと共にリビングに向かうと、
掃除をしていたらしい女主人が手にしていたのは、セピア色の小さな写真。

「見て、片付けてたら今出てきたの。これ、私よ」
古い写真の中でたたずむ、ワンピース姿の小さな少女に、今や60歳を越えた大柄な
婦人の面影は正直見いだせない。

「隣にいるのは?」
「兄よ。戦争に行く前に撮った写真だわ」
――― 一瞬、心臓が小さく跳ねた。

「55年前ってこと?」
「そうね。アメリカが戦争で戦った時よ、日本と、そしてドイツとね」
クリシーが、おどけた表情でこちらに視線を向ける。
「時代って変わるものよねえ」
ホストマザーの口調は自然で、言外に何かを訴える意図も避ける意図もなく、
至ってクールな事実と感想。

「ああ、2人とも出かけないんならちょっとこっちを手伝ってくれる?」

ドイツ人のクリシーと、日本人の私、そしてアメリカ人のホストマザー。
奇しくも8月15日の昼下がり、偶然出てきた一枚の写真をきっかけに、私達は
そんな話をした。
家事の片手間に、教育や議論の要素をまったく持たない、日常の一部として。

日本で学んだ歴史や国際関係論とは別の形で、この時のアメリカ滞在で私が得た貴重な体験。
ヒロシマパールハーバーも、消えない事実だけれど、私達がこの日3人で夕飯の準備をした
ことも、また一つの事実であり、そんな些細な日常の出来事は、時として複雑な歴史や政治の
しがらみを「飛び越える」力を持つ。

そんなことを体感として知ることができた、そんな体験。

この先も、8月15日を迎えるたびに蘇るであろう、記憶。