少しだけあの日の話をしてみよう
突然にして、都内のあらゆる交通手段を失った、その夜に。
距離や道の状況とは別の事情で、自分の家には帰ることができなくなり、
日没を経て数時間、一度も行ったことのない場所を目指して、知らない
道を1人、携帯電話のアプリケーションだけを頼りに延々と歩いていた。
途中であちこちで宿を探すも、横になって眠れる場所を確保するのは
もう不可能だと悟りつつあった。
挫けそうな気持ちを抱えて進む通り沿いに、ふと目に付いた宿泊施設らしき建物。
近付いてみると、どうやらラブホテル。
その前で立ち止まっている、おそらく行き場を失った帰宅難民なのであろう、
二人連れの若いサラリーマンも、同時に視界に入った。
「……どうする?」と、微妙な面持ちで顔を見合わせ、しばらく話した後に、
どちらがフロントに相談に行くかをジャンケンで決め始めたその様子を見て、
通りすがりの暗闇の中で思わず噴き出した。
このとき私は、この日初めて笑った。
追い詰められた気持ちの中で、ユーモアがいかに人を救うかを、改めて知った
そんな出来事。
……あの2人、結局あそこに泊まったのかなあ。