意訳

子供の頃にTVで見た、割とファミリー向けの洋画(日本語吹き替え)にて。
不良に絡まれたヒロインの少女が、「なんでえ、このメス」みたいな罵られ方をして、連れの少年が「酷いこと言うな!謝れ!」と逆上してるシーンを目にして、子供心に「外国だとそういう悪口なんだ」と物珍しく感じた記憶があるのですが。

・・・たぶんあれ、オリジナルの台詞は「ビッチ」だったんじゃないかな。
その単語自体が日本で定着もしてなかった時代に、センスのある訳をされたんだな、と思います。

まんま「売女」とかじゃ作品のテイストに合わないし、誰でも理解できてかつ失礼なけなし文句だと伝わらないと、少年の逆上や、冷静を貫く少女の気丈さが伝わらない。

日本語の一般的な表現から少し枠を広げて、異なる言語の間の落とし所を追求する。

好きな人にとってはとても魅力的な作業であり、そのような技量に長けた人には尊敬の念を抱く。

パイレーツ・オブ・カリビアン(予告編)

※本編未鑑賞ですが、予告編から認識できる情報およびシリーズ過去作品のネタバレには触れています。

どうのこうので全作品観たし、きっと最新作も観に行くと思いますが。
第一作が非常に綺麗な大団円で終わっているので、キャラクターへの感情移入という面では、あそこで物語が終わって欲しかった気持ちも否めない。
自分の中では第一作で完結したことにして、二作目以降はパラレル外伝みたいに受け止めている所もあります。

1作目は、不死身の海賊との闘いやジャック・スパロウの復讐の成就、そして幼なじみの美男美女の身分違いの恋の顛末(この二人のキャスティングも個人的に好き)も、最後の最後でジャックを逃がす周囲の計らいも、ある意味王道な展開で心地良く収束する物語。
そこに王道を外しまくったジャックのキャラクターや、意外と随所でおちゃらけてコントのような展開を含むエピソードがあり、敵役の海賊たちも皆どこか憎めなかったりして、素直に「面白い映画」という仕上がりであったと思います。

あと音楽か。あのテーマソングは継続して使われてますね。
鍛冶屋の工房で音楽に被せるように剣を打ち合わせる対決シーンとか、初見ですごくワクワクした記憶がある。

当初からある程度シリーズを見越して作られたからこその作り込みでもあったでしょうし、希代のキャラクター、ジャック・スパロウを始めとする魅力的な登場人物たちが再び登場する続編は喜ばしくもあったのだけど、続編について随所で指摘されているストーリーの破綻、そして物語に新たな展開を与えるにあたって彼等を襲った悲劇(信頼関係の危機や別離、大きな怪我、そして絶命)は、見たくなかったという気持ちにもなる。
裏を返せばそのくらい、第一作の彼等に愛着を持ったということだけれど。

最新作のメインキャラクターは世代交代のようですが、前作で登場しなかったウィル&エリザベスも今回は登場するようで。
「ワールド・エンド」公開後に諸説飛び交ってたウィルの運命とその後については、予告に一瞬現れた姿が結局アレになってるようで、またガックリきてしまった。
あれってデイビージョーンズの職務放棄への罰(真面目に船長やってる限りは人間の姿のまま)だったんじゃ・・・

公式サイトはこちら。
http://www.disney.co.jp/movie/pirates.html
トップに出てくる「これまでこれまで決して明かされることのなかったジャック・スパロウ誕生の瞬間」という煽り文句には「出産シーンかよ」というツッコミを禁じ得なかったけど。だって名前じゃん。
「“キャプテン”ジャック・スパロウ誕生」ならわかるんだけど。まあとにかくこの目で確かめてきましょう。


パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」
2017年夏 公開中

世界の絶景・秘境100

―WONDER SPOT― 世界の絶景・秘境100

―WONDER SPOT― 世界の絶景・秘境100

最近買ったお気に入り。

似たようなコンセプトの本はいくつかあるようですが、こちらの評判が良いようで。
(自分で見比べた訳ではなく、レビューを比較した所感です)

本当に世界中の様々な絶景が写真と共に紹介されているので、単純に見ていて楽しいです。
対象はギザのピラミッドや万里の長城ガンジス川(絶景…?)といった有名観光地から、初めて名前を目にした南米の洞窟の類まで、幅広く。
ついでに日本から行く場合の予算やルート、ベストシーズンが紹介されていたり、行程の難度がチャートで示されているので、「実際に旅行するとしたら」というイメージも沸きやすい。

…ですが、何しろ「絶景」を集めた本なので、南米やアフリカのウエイトも高く、行程がかなりハードないわゆる僻地も含まれてそうで、普通の休暇旅行の行先選びに使えるかどうかは人によりそう。

たまに眺めて未踏の地に思いを馳せたり、「ここはいつか行ってみたい」という目標の地をランキングしてみるのもお勧め。

美女と野獣(予告)

ディズニー直々の実写化で、どうやらキャラクターもストーリーも基本的にアニメ版と同じみたいですね。
でも観に行く。

予告だけでもエマワトソンの美しいこと美しいこと。

個人的にはベルはそこまで「絶世の美女」というより「普通に可愛いんだけど変わり者として周囲から浮いている女性」くらいのイメージだったのですが。
本作に関しては、紛うことなき美女ですね。
ほんと、ハーマイオニーのあの時代から、いろんな意味で順調に成長されて。

そして本作は野獣も結構スマートそうで。
確かに、人間の姿は想像できないくらいに「野獣」なんだけど、野獣なりに顔立ちがキリッとしてて、これはこれでかっこいいような。
イケメンゴリラのシャパーニ君を彷彿とさせるような。

そこはアニメと結構イメージが違いました。

衣装やセットも含め、映像と歌を楽しむ目的でも観に行きたい。


ディズニー映画『美女と野獣
4月21日より公開中
公式サイト : http://www.disney.co.jp/movie/beautyandbeast.html

ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命(ネタバレあり)

前回エントリに続きますが、こちらはネタバレ&ツッコミで。

本作、公式サイトの解説を読むと「やっぱりそういう話がしたかったのか」という感じなのですが、実際に映画だけ観てそこが汲み取れるかは、難しいような。

PRのイメージや、このあたりの煽り文句からすると、鑑賞前の印象としては、以前にニコール・キッドマングレース・ケリーを演じたこちらを彷彿とさせたのですが。

本作「ジャッキー」は歴史に残る衝撃的事件を扱いつつも、あまりメリハリを感じる構成ではないですね。

公式サイトより。

暗殺という悲劇的な最期を迎えたケネディ大統領の葬儀の映像が世界中に流された時、人々は初めて見るジャッキーの姿に驚いた。「ただケネディの隣にいる人」と思われていた彼女が、毅然としたストイックなまでのたたずまいで、二人の幼い子供たちを励ましながら、荘厳な国葬を取り仕切ったのだ。

…あ、あれはそういうシーンだったのか。(率直なリアクション)
そもそも作品全体で過去と現在が交錯していて時系列通りに進まないのも理由かもしれませんが、葬儀でのジャッキーにそこまで変貌は感じなかったかな。
そもそも黒いベールで顔が見えづらいし。

でもつまり、ホワイトハウスのTV取材の時に笑顔を振りまくファッションアイコンの彼女と、葬儀の場で先頭を切って歩く毅然とした未亡人の姿を対比させる意図があった、のか?

…わかりにくいんじゃないかな。

なんていうか、随所そうなんですよね。

たとえば件のTV取材については、本番前の彼女の不安げな姿と、白黒のTV画面の中で微笑む(微妙に緊張がにじむ)姿が映像として示された後で、数年後?のインタビュー(書籍向け)で記者とこんな会話をします。

ホワイトハウスの改装に税金を使い過ぎだと言われたわ」
「でもあのTV放送は素晴らしかったですよ、あなたはキャスターにもなれそうだ」
「(キッ)どういう意味かしら。私に助言したつもり?」
「…いや、失礼。そんなつもりでは」

正直ちょっと掴みづらい会話と感じたのですが、後から閲覧したWikipedia曰く。

テレビで初めて公開された新しいホワイトハウスは評判を呼び政府のイメージアップと費用以上の効果をもたらした。この番組は史上初めてホワイトハウスの奥深くにテレビカメラが入り、案内役をつとめたジャクリーンの気品に視聴者が魅了された。

うん、あれだけだとわかんない。
やっぱりこのあたりは観客が知っている前提ということかしら。
そういう面でやっぱり日本人はハテナとなりやすい気がする。

そして、どうもファーストレディの「光と影」みたいなものを描くにしては、ジャッキーが終始内心ボロボロな感じで(映像的には美しいのですが)、コントラストを感じにくかったかも。
劇中での堂々とした幸せそうな姿って、暗殺直前とラストシーンくらいでしたよね。
中盤は「『突然夫を失って、子供を抱えて途方に暮れる未亡人の悲しみと再生の物語』の舞台をホワイトハウスにしてみた」という風にも見えてきた。

そして、その終盤のモチーフ、これも史実だから仕方ないんですけど、当時のホワイトハウスの栄華をたとえた「キャメロット王国」の伝説がまた日本人に馴染みがないんですよね…苦笑。
欧米だとたぶん、その名前だけでイメージが伝わるんだろうけど、そこも日本人には伝わりにくい部分かも。

そんなこんなで以下雑感。
●「暗殺された大統領で名を知られているのはリンカーンただ一人」というのを、ジャッキーが居合わせた運転手へのヒアリングで確認・証明するシーンは、なるほどという感じで面白かったです。
 そして夫をリンカーンにしようとした。これは歴史的にも言われてる事なんですね。
 (一方で「リンカーンとはそもそも実績が違う」という劇中のツッコミもあり)
●葬儀の場での幼い息子の敬礼をはじめ、むしろ史実通りに映像化するだけでドラマチックになりそうな現実のエピソードが取り上げられてないのはあえてなのか。
 ご当地の感覚だと陳腐になるくらい、語りつくされた話だったたりするのかしら。
ホワイトハウスの調度品が私物扱いになること、ホワイトハウスを去った後で家族が生活苦に陥ることもあるといった話は、この映画で知って興味深かったです。
 劇中ではそんな話題でジャッキーの不安定な状態を強調して「子供たちの教育のために調度品を売らないと」なんて言ってたけど、実際はご実家めっちゃ金持ちですよね…。
 しかもその後は外国の大富豪と再婚してアメリカを去ったなんて話は、この映画では語られない。

自らの知性と才覚、そして深い愛で“ケネディ大統領”を創り上げてきた“名プロデューサー”の姿が今、明かされる。

……だ、そうです。

ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命(ネタバレなし)

“誰もが知っている(という前提で取り上げる)ケネディ夫妻の、知られざる「舞台裏」(だけ抜粋)”

歴史上の出来事と実在の人物を扱った作品ということもあり、単純に「面白い」かどうかで評価するものでもないとは思うけれど、いわゆる娯楽要素は低めの作品。
特に日本人にはわかりにくい部分が多いかも。

どうも全体に渡って奥歯にものが挟まったというか、抽象的な表現が続くので、作中で取り上げられる史実(暗殺事件に限らず、ホワイトハウス内部のTV放送とかジャクリーンの死産とか)や、ケネディ夫妻が当時の国民にどういうイメージで見られていたかについては前提として知って観ないと置いてきぼりになる気がする。
鑑賞後に少し整理したくてケネディ夫人のWikipediaページを閲覧したのだけど、本人の人生がかなりドラマチックでエピソードも印象的なので、正直に言えばこれをそのまま読む方が面白いかもしれない

ただ、そのてのエピソードはほぼ映像化されず、前提として軽く言及されるに留まることが多い。
アメリカだと皆知ってることだから今更映画で取り上げる必要もないということなのか、あるいは「わかる人だけ観ればいい」というのがそもそものスタンスなのか。

なので、これからご覧になる方はWikipediaだけでも目を通しておくことをお勧めします。
あとは公式サイトの解説文とか。観終わった後に若干ツッコミ所を感じるかもしれないけど。

そのあたりの事実を頭に入れたうえで、その映像化やそこに描かれる各人の心情を鑑賞してみたい方にはお勧めできるかも。
あとは、ただただナタリー・ポートマンを観たい方とか。彼女は相当出ずっぱりです。

3月31日より公開中
公式サイト
http://jackie-movie.jp/

そして誰もいなくなった(過去の読書体験について)

先日スペシャルドラマが放送されましたね。
この原作で日本初のドラマ化というのがむしろ意外。

原作、中学生くらいの時に図書館で借りて読んだ記憶があります。
例の歌が「10人の小さなインディアン」という記載だった時代。今は原作も「兵隊さん」になってるの?

一度借りたきりの本、概要は記憶に残っていたものの、細部についてはドラマを観てもどこまでが原作通りかトンと思い出せないレベルで抜け落ちてました。

ドラマおよび、後からネットで調べた原作の内容から、自分の記憶が実際の内容と一致していたのは以下でした。
〇大枠のあらすじ(マザーグースの歌に沿った形で1人ひとりが殺されて最終的に全滅)
〇最後の被害者は家庭教師のヴェラで、一旦は生き残るものの、(犯人に仕組まれて)最後に自ら首を吊る。
〇ヴェラの過去の罪は教え子の水死

ドラマを観ながら思い出したのは
△真犯人が判事
△真犯人は一度殺されたように装うことで容疑者から外れて身を潜める

そして完全に忘れていたのはこのあたり。
×ヴェラ・ローレンス・ロンバート(辛うじて)以外の登場人物の職業やキャラクター設定
×全登場人物の名前(苦笑。ヴェラはどうにか思い出せたかな…)
×ヴェラ以外の登場人物の過去の罪
×ヴェラの教え子の事故の真相
×エピローグ(手紙の存在、判事の真の動機)

特にヴェラについては善良なヒロインという印象で、ドラマの後半を観る前にネットで原作の結末を確認して驚愕でした。

教え子を死なせた事実までは記憶にあったけど、「不注意」もしくは「ちょっと頭にきてしばらく放置した結果」とかそういうのだと思っていて。
年月を経た中で、ヴェラについては「過去の事故の罪の意識に苛まれ続けているヒロイン」、そしてローレンス判事の行為は「長年の法律家人生の中で『法で裁かれない加害者』への義憤が募った末の暴走」だとばかり記憶していて、両者のエグい側面はすっぽり抜けていました。判事もあんなにやばい人だったっけ。

ミステリー要素だけでなくて、人間の裏表とか心の闇みたいなものもしっかり描いた作品だったんですね。
たぶん今だったらむしろそういう「人間を描いた」部分に興味を持つんだろうけど、当時は深くは理解できなかったというか、ある意味許容範囲を超える内容でスルーしちゃったんだろうな。

登場人物の背景の設定や複雑な心情なんかも、おそらくあまり読み込めなかったから記憶に残らなかったんでしょう。
内容を把握してストーリーを追えても、十分にその本を読めたかどうかは別の話ですね。

妙にはっきり覚えているのは、最後に生き残ったヴェラが、同じくひとつだけ残った人形を持って「私たちは勝ったのよ・・・」と話しかけながら1人で歩いていくシーン。その先には彼女を誘うロープの輪が…
原作はその後見つけられていないので、確認はできてないのですが、ここは自分の中に映像でイメージが残っていて、おそらくセリフを含め記憶していると思います。
(合ってるよね?)

ヴェラだけは当時でもどうにか理解できて感情移入できる人物で(えぐい面はスルーしたものの)、きっとこのシーンの描写が印象的で、そして生き残ってほしくてハラハラして読み進めたんだろうな。

思わぬきっかけで、自分の昔の読書体験と向き合う(そして意外と記憶が適当であったことを悟る)機会になりました。